広島と長崎に原爆が投下されてから間もなく76年です。被爆者の高齢化が進む中、岡山県倉敷市在住の91歳の女性が中学校で被爆体験を語りました。
岡山市立芳泉中学校を訪れたのは、倉敷市の豊田冨士子さん(91)です。
1945年8月6日、15歳だった豊田さんは爆心地から約2キロ離れた広島市の女学校の寮で被爆し、同級生の捜索や救護のため市内の焼け野原を歩きました。
(15歳の時に広島市で被爆/豊田冨士子さん[91])
「人間が川の中でいっぱい死んでるんです。熱いから飛び込んだのか、爆風で飛ばされて入ったのか」
そして、今でも忘れられないのが同級生の1人を看取ったときのことです。
(15歳の時に広島市で被爆/豊田冨士子さん[91])
「『胸が苦しいよー、お母ちゃーん……』息が絶えました。私たちはどうしてあげようもなくて、かわいそうで……」
講演を聞いたのは中学2年生、約320人。ちょうど豊田さんが被爆した時と同じ年代です。
平和学習として2021年9月には広島市を訪れる予定です。
(15歳の時に広島市で被爆/豊田冨士子さん[91])
「皆さんもそういう目には絶対にあわないように。戦争があってはなりません。どこの国も平和な国をつくっていくようみんなで頑張ってください」
(生徒は―)
「本当に初めて聞くことばかりでびっくりしました」
「原爆は絶対にいけないっていう強い思いが、被爆者だから言えることっていうのもあってズンと来ました」
「戦争を体験した人は高齢の方が多いので、私たちが次の世代へと伝えていけるように努めていきたいと思います」