国立ハンセン病療養所がある高松市の「大島」で、子どもたちが島の歴史や魅力を体感するイベントが開かれました。
8月4日から6日にかけて行われた「大島サマースクール」。小学生と中学生 20人が参加しました。
ハンセン病の歴史を学びながらアートや自然といった大島の魅力を知ってもらおうと、高松市が開いているものです。
新型コロナの影響で2022年まではオンラインや日帰りでの開催でしたが、今回は4年ぶりに泊まりがけで行われました。
(こえび隊[運営を担当]/笹川尚子さん)
「昔はハンセン病になった人たちは、強制的にこの島に家族とも引き離されて一生を終えないといけないという法律だったので、この納骨堂の中には、約1500人のお骨が納められています」
ハンセン病は感染力が非常に弱く、戦後には完治するようになったにもかかわらず、国は法律によって患者を強制的に隔離し続けました。
法律が廃止され、病気が治った後も、根深く残る差別や偏見、後遺症などのために多くの人が療養所で暮らし続けました。
1952年に「大島青松園」に入所した野村宏さん(87)もその一人。子どもたちと直接対面するのは4年ぶりです。
(大島青松園 入所者/野村宏さん)
「見てもらって、肌で感じてもらうのが大事だと思うね、やっぱり。差別と偏見のためにこの島に閉じ込められたということを分かってもらえると意味がある」
瀬戸内国際芸術祭の会場となっている大島には、ハンセン病をテーマにした現代アートが展示されています。「Nさんの人生・大島七十年-木製便器の部屋-」(田島征三 作 2019年)は、野村さんがバスに乗って故郷を離れる場面から始まります。
(大島青松園 入所者/野村宏さん)
「おふくろは知っていた。大島に連れて行かれたら、中に入ったら出してくれない。頭の髪を振り乱して気が狂ったように追いかけてきた」
野村さんは入所者同士で結婚しましたが、子どもを授かることは許されませんでした。
(大島青松園 入所者/野村宏さん)
「子どもができたら堕胎される。それが『らい予防法』という法律で定められていた。妻は堕胎されて、子どもはホルマリンの瓶につけられて研究室の棚に放置された。その時の悔しかったことは、今でも忘れることができない」
(小1の時から参加/酒井櫻子さん[中3])
「ハンセン病の過去はすごく過酷なもので、人生を壊してしまったものでもあるけど、それを知らない人が多いから、間違っているんだよということを知ってほしい」
(2回目の参加/大島妃加里さん[中3])
「それぞれの作品に込められた思いがあってすごいなと感じた。(サマースクールは)いろんな人と関わりあえるというのがすごくいいな」
2日目には小学校低学年の児童も加わり、初日に学んだ中学生たちが島を案内しました。
(『Nさんの人生』を解説する中学生)
「赤ちゃんを産んではいけなかったから、うれしいことなのに悲しいことだった」
(初めて参加/頼富倫さん[小1])
「赤ちゃんが産めないから大変だと思いました」
(初めて参加/宮本翔太郎さん[小4])
「(ハンセン病の歴史は)怖いと思った。(Q.自分がその立場だったら?)絶対嫌だ」
(島を案内した/西川優花さん[中2])
「できれば価値観を植え付けずに、自分で感じてほしいと思っていました。気づいたことをいっぱい言ってくれて楽しかったです」
子どもたちは他にも、大島をテーマにした詩をつくったり、豊かな自然に触れたりして、大島の魅力を体感していました。
「大島青松園」には、現在37人の入所者が暮らしていて、平均年齢は87歳です。
(小2の時から参加/岡崎純來さん[中3])
「今知ったことと昔知ったことでは感じ方も違うし、ハンセン病を知るからこそ、大島に魅力を感じたので、私にとっては大好きな島」
(こえび隊[運営を担当]/笹川尚子さん)
「入所者の方々がいなくなった後も人が通う島であってほしいということがあるので、新しい世代の子たちにまた来てもらってということを続けていくことが大事」