高松市出身の美術作家・野口哲哉さんの作品展が高松市で開かれています。
よろいを通じて人間の当たり前の姿を描く野口さんの思いとは。
高松市美術館で開かれている「野口哲哉展 ― THIS IS NOT A SAMURAI」では、樹脂や粘土でできた立体作品や平面作品が約180点並びます。
よろいは「人間を理解するツール」
(美術作家/野口哲哉さん)
「死にたくないと思ったりとか、家族を大事に思ったりとか、おなかがすいたりという、そういう当たり前の感覚というのをよろいの中に探しに行きたいと思っているような気がするんですね」
高松市出身の現代美術作家・野口哲哉さん。
3歳で出会ったよろい、かぶとの強さや恐ろしさ、美しさに魅了されました。そしてそれ以上に考えることが好きだった野口さんは、よろいを人間を理解するためのツールとし、その中に人間のリアルな感性を追求し始めました。
(野口真菜リポート)
「『殻の中に閉じこもる』という様子が表れているこの作品。思い詰める、という、誰しもが感じたことあるであろう感情が、指先から表情の細部にまで表れています」
(美術作家/野口哲哉さん)
「作品の中で1番大切にしているものは、『たたずまいの悲しさ』みたいなもの。人間生きていると、どうもうまくいかなかったりして悲しくなることがあるんですね。うまくいかない部分も含めての社会であって、人生なんだろうなという気がするんですね。その悲しい部分をちゃかしたくはないなと思いますね。大事にしたいなと思います」
一見ユニークに見える野口さんの作品ですが、そこには現代に通ずる社会の構図も映し出されています。
かぶとで表現するのは「価値観の衝突」
こちらの2つの作品は左の平面作品が「Sleeping Head」、右の立体作品が「Talking Head」というタイトルで、2つを照らし合わせるとテーマが見えてくる…といった関連作品になっています。
世代を超えて受け継がれてきたかぶとが1つのコンセプトです。平面作品で表された古い世代の人に対して、立体作品の新世代の若者は、かぶとと相いれない様子。
かぶとという伝統と、変わりゆく人間の感性や自意識のアップデート。世代間の確執によって生まれる価値観の衝突を表しています。
人間の美しさを感じる「ニュートラルな部分」
野口さんが生み出す人々は、全て無表情。明確な感情は作らないと言います。
(美術作家/野口哲哉さん)
「喜怒哀楽以外の感動が人生の大半を占めている気がするんですね。怒ってもいない、悲しんでもいない、笑ってもいない、でも人間は普通にリラックスして毎日生きている感じがするので、そのニュートラルな部分がすごく美しいなと思うんですね」
見る者に考えを委ねる余白と、命が宿っているかのようなリアルさの奥には、野口さんの「人間性」への追求が表れています。
(美術作家/野口哲哉さん)
「心のどこかで漠然と思っているけれど、うまく形にできないものに姿を与えるのがアートの仕事だと思うんですね。怒ったり笑ったり悲しんだりっていう感情に寄り添うことができると、それはアートの役割じゃないのかなと思いますね」
THIS IS NOT A SAMURAI ―
これは、侍ではない。私たちと同じ、文明や時代の変化の中で生きる人間の普遍的な姿です。
(美術作家/野口哲哉さん)
「侍のこと知らない人たちに見てもらって、それでもちゃんと伝えたいですよね。それは、侍の良さを伝える、ということではないんですよね。侍というレッテルなんかなくても、ちゃんと人間は気持ちが通じるはずだという筋が通ると、そういうことができる気がしますね」