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阪神・淡路大震災から27年…消防隊員が語る「震災の記憶」【こつこつ防災】

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 6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から1月17日で27年が経ちます。
 今回の「こつこつ防災」は、当時、救助活動に当たった消防隊員の言葉から震災の記憶をたどります。

 高松市の瓦町フラッグでは、阪神・淡路大震災の発災後に消防などが撮影した写真12枚が展示されています。

(赤木由布子リポート)
「こちらの木造の家屋は1階部分が完全に潰れてしまっています。阪神淡路大震災で亡くなった人のほとんどが圧迫死による即死だったということです」

 阪神・淡路大震災では多くの建物が倒壊し、同時多発的に火災が発生しました。

(高松市消防局 消防防災課/日笠利夫 課長)
「空襲を受けた後みたいな感じで、煙がすごかった。それとガスのにおいですかね。そのあたりが強烈にまだ残ってますね」

 高松市消防局の日笠利夫さん(59)は阪神・淡路大震災の発生から3日間、先発隊として救助に当たりました。日笠さんは5人の隊員とともに救助工作車に乗って、特に被害が大きかった神戸市長田区周辺に向かいました。

(高松市消防局 消防防災課/日笠利夫 課長)
「高速が横倒しになっていたり、一般の車両がどうしても通行できないんで、結構混雑していたような状況でした」

 日笠さんらが任されたのは生き埋めになった人の救助でした。建物がさらに崩れる危険があるため、倒壊した家の柱をのこぎりで切り、人がいるであろう場所の周りをスコップで掘る……機械には頼らず人力による救助でした。

 多くの人が生き埋めになっている状況で、救助を求める声を振り切って次の現場に移動せざるを得なかったそうです。

(高松市消防局 消防防災課/日笠利夫 課長)
「反応があるとか声が聞こえるとかそういう人を優先しなきゃいけない時もありますし、苦渋の選択というか……。どうしても人手が足りない、資機材が足りない。広範囲になるほど現場が難しくなりますし、そのあたりはほんまになんかうーんと落ち込みましたけどね当時は」

 日本火災学会がまとめたデータによると、阪神淡路大震災では生き埋めになって助けられた人のうち、救助隊に助けられたのは1.7%。97.5%は自力、または周囲の人たちが助け出しました。

(高松市消防局 消防防災課/日笠利夫 課長)
「我々だけの活動ではなくてやっぱり市民の方、被災している方と一緒に活動したというイメージはあります。自助共助の活動によって多くの方が助けられているというのを再認識してもらって、備えだけはしていただいて、自分の命は自分で守っていただきたいと切に思いますね」

 「防災とボランティア展」は1月13日まで、高松市の瓦町フラッグ8階で開かれています。

 日笠さんは現在、高松市消防局で消防防災課長を務めています。当時の経験から「まずは自分の家の周りにどんな人が住んでいるのかなどを知って、いざというときに助け合えるような地域の付き合いを大切にしてほしい」と話していました。

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