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避難指示“全解除” 全焼した家を前に… 津波で家失い再び…

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 すべての地域で避難指示が解除となった岩手県大船渡市。住民の方々の帰宅に同行させていただきました。

■避難指示 すべて「解除」

防災無線 「避難指示をすべて解除します」

 待望の避難指示解除の知らせ。ただ、目の当たりにしたのは、変わり果てた我が家です。

 発生13日を迎えた大船渡市の山火事。10日午前10時、市はすべての地域の避難指示を解除しました。

大船渡市 渕上清市長 「待ち望んでいた日が、いよいよやってきたと思っている」

 解除されたのは、三陸町綾里地区などに住む2424人。およそ2週間過ごした避難所は役目を終え、ようやく笑顔も見えます。

避難していた人 「きのうあたりから笑顔が見えてきた」

■大船渡火災 200軒以上被害

 これまで入ることができなかった制限地区。焼け野原となり、その爪痕が見えてきました。

 850世帯が暮らしていた綾里地区。大船渡市全体の9%を燃やした火事。すっかり、その姿を失っていました。

 避難指示解除から一転。人々は厳しすぎる現実を前に途方に暮れます。これまで80軒ほどと言われていた建物の被害は、9日時点で210軒と大幅に増加しました。

 数字上では210軒。それぞれの一軒一軒に、人々が刻んだ歴史があります。

商店を営む夫婦 「何もなくなった。悔しい、それだけ。90年だぞ、90年になるんだぞ」

 道を一本隔てて山側にあった家々は次々、火にのまれていき、焼け野原に。

 綾里地区で商店を営んでいた夫婦。3代続いた商店は裏手にあった蔵を残し、跡形もなく焼け焦げました。

商店を営む夫婦 「ここに建てたのは昭和8年の津波後、昭和11年に建てた。俺で3代目なんだけど、ダメだと覚悟していたけど、まさか」

 現在、営業している店舗は無事でしたが、自宅と3代続いた店舗が被害に遭いました。

商店を営む夫婦 「今まで通り綾里で商売していく。綾里の人たちが必要なものをちゃんと商いしていかないと。残念だ」

■避難指示“解除”自宅に戻る人

村上泰子さん(72) 「郵便受け…あれは仏壇だろうと」

次男 村上諒祐さん(39) 「焦げてないものはない。何も残ってない」

 13日ぶりに帰宅した村上泰子さん。結婚して40年以上、夫や子どもと過ごした家はどこがどこかも分からないほど全焼しました。

 去年、結婚した次男の諒祐さん。18歳まで暮らした我が家でした。その結婚写真が載ったアルバムだけを持ち、避難しました。

村上泰子さん 「『これだけは』と思って。これしか、これからにつながらないんじゃないかなと思った。全然あとは考えられなかった。これからの家族なので、これだけはと思って。侮っていたと言っては悪いが、本当に正直に言うと、こっちに向かう火事だとは思っていなかった」

■あわび“全滅”深い爪痕

 被害は家ばかりではありません。

北日本水産 古川季宏社長 「全滅です。ここで飼っているアワビが300万個いますので、300万個すべて死んでいます」

 養殖していたアワビ。養殖に必要な給水管が焼け焦げました。

古川季宏社長 「遠目ではすすがついたくらいだと思っていた。完全に焼け落ちている。全部入れ替えないと水は送れないという感じ」

 手塩にかけて育てたアワビは全滅しました。

古川季宏社長 「商売だけで(被害額は)4から5億ぐらいにはなる。これも年数を重ねて作るものですから(アワビが)生きてて、すぐ復帰するわけではない」

■3.11 津波で家失い再び

 11日で東日本大震災から14年。あの日、津波の被害を受けた大船渡市。そして今、再び試練に直面した人がいます。

 かつて、ここには家がありました。しかし、今は焼け跡が広がるばかり。家族が暮らしていた場所は面影すら残っていません。

 家の持ち主が袖野雄さん(45)。

自宅が被災した袖野雄さん 「避難生活は津波の時も小学校の体育館とかで経験している、苦にならないと言えば嘘ですけど」

 袖野さんは妻、4人の子ども、そして母親とともに避難生活を送っています。

 5日前、同級生の消防士から届いた写真。それは、家が「全焼」したことを伝えるものでした。

袖野雄さん 「もう諦めの境地、そんな感じです。住宅ローン35年で組んだので、75歳まで頑張って払うぞと建てたけど…」

 実は袖野さんは東日本大震災でも津波によって家を失っています。その後、建て直した家も今回の火災で失いました。

袖野雄さん 「言い方は悪いですけど、自分だけ何でこんなにあたるのかな…」

 火事の知らせを受けた日、長女は高校受験の火を迎えていました。

袖野さんの長女 「(Q.頑張って下さい)行って参ります」

 避難所ではテントの中で必死に勉強を続けていました。

袖野さんの長女 「いつも通り頑張ってきます」

 また長男は今月、高校を卒業し、自衛隊へ。ほかの2人の子どもたちはまだ小学生です。

 避難生活を送りながらも袖野さんは消防団員として地域のために動いています。

 9日、被災した自宅の確認に入りました。

袖野雄さん 「写真1枚とか何かあるかなと思ったが、何もないことを確認した」 「(Q.残っていたものは)特にまだ…屋根の残骸が乗っているので、重機で取らないと何も見られない…家族を連れて1回は今の状態を見せてやりたい」

 それでも家族は前を向いています。

袖野雄さん 「子どもたちも小学校とか同じところに通いたいと、子どもたちの意見を優先させたい。戻る方向で進めていきたい」

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