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遺族「もっと早く避難を促すことができていれば…」倉敷市・真備地区で追悼式〈西日本豪雨から5年〉

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 西日本豪雨から7月6日で5年です。倉敷市の追悼式で遺族代表を務めた三丸幸三さんは、真備町箭田の実家で一人暮らしをしていた母を亡くしました。翌朝ニュースを見て北九州市から車で実家に向かったそうです。

(遺族代表/三丸幸三さん)
「母の無事を祈りながら、20時間かけてようやく真備にたどり着けましたが、実家は2階まで水没した跡があり、母は帰らぬ人となっていました。もっと早く避難を促すことができていればと、大変悔やまれてなりません」

 追悼式には新型コロナの5類移行を受けて2022年の3倍以上、約210人が出席しました。

 2018年の西日本豪雨で岡山県では災害関連死を含めて95人が、このうち倉敷市では75人が亡くなりました。犠牲になった人の多くは高齢者や障害者でした。

(娘と孫を亡くした遺族)
「災害があった日だから、娘のために、国や行政が動いてもらわないといけないし。障害者は、一人じゃ逃げられないから、やっぱりみんなの力を借りないと」

(母を亡くした遺族)
「堤防工事が進んでいることは本当にありがたいことだと思うけれども、自分たちができることって、声掛けをして、みんなが早いうちに避難ができることだと思うので、それをしっかりみんなに浸透するように進めていってほしい」

(母を亡くした遺族)
「料理が好きで、いろんな方たちから慕っていただいて、とてもたくましい母でした。いろんな所で大きな災害が起きてますけど、早めの避難と防災意識を日頃から高めることによって、少しでも被害に遭われる方が少なくなると思います」

(妻を亡くした遺族)
「女房が災害関連死で亡くなったんですよ。亡くなってから4年半ですけど、少しずつ記憶が薄れて。少しずつ落ち着いてきたかなという」

 岡山県ではピーク時に9000人余りが仮設住宅で生活しましたが、住まい確保のめどが立ち、5日までに全ての仮設住宅の提供が終了しました。

(倉敷市/伊東香織 市長)
「被災した皆さまの心の復興というところが、これからもお一人お一人の状況に寄り添いながら支援を続けていくことが必要だと思っています」

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