6434人が亡くなった阪神淡路大震災から1月17日で30年となります。
大学生の時に神戸市で被災し、現在は地元の岡山県笠岡市で暮らす男性は「地域のつながり」づくりに取り組んでいます。
13日、笠岡市山口の新山公民館が開いた地域のウォーキングイベント。運営に携わった高木潤さん(52)は30年前の1月17日、大学生の時に神戸市で震災を経験しました。
(阪神淡路大震災で被災/高木 潤さん)
「(アパートの)1階に住んでいたんですが、2階がつぶれてそのまま落ちてきた状態で、たまたま私が横になっていたところだけが空間があったというか。しばらくして『地震で崩れたんだな』って分かってきて」
「ただ、声を出しても聞こえないし、遠くの方で火事が起こっているらしいというのも(外から)聞こえてきたので、見つからなかったらこのまま火事で焼けるのかなっていう恐怖はあった」
「数時間埋まっていたんですけど、その時に助けてもらったのが地域の近所の知り合いの人。『どこにいるんだ』と捜してもらって助けていただいた」
震災を経験して高木さんが強く感じているのが、地域のつながりの重要性です。
(阪神淡路大震災で被災/高木 潤さん)
「もうちょっとしたら阪神大震災の30周年も来ますけれども、災害が起きたときには、地域にどんなところがあったり、どんな危険があったりするかっていうのを分かっておくのが重要になると思いますので、世代を超えていろんなところを見ながらこういうところがあるんだなというのをしっかり勉強してきてほしい」
この日のイベントには新山地区に暮らしている子どもから大人まで約50人が参加しました。
ごみを拾いながら近くにある神社や史跡などを回り地域のことを学びながら近所同士の交流を図りました。
(阪神淡路大震災で被災/高木 潤さん)
「避難所に行ってずっと地域の人たちと暮らしていたので、防ぐところというよりは、起こった後に助け合いながらやっていかないといけないというのはその時に感じて、地域のことが自分も分かっていないとだめだし、それから知り合いとか情報交換ができるような状態にないといけないと思っていたので」
現在は倉敷市で高校教諭として働く高木さん。長い年月が過ぎ、生徒に経験を語り継ぐ難しさを年々感じているそうです。
一方で、自身が大事にする「地域のつながり」において高校生が持つ力は大きいと話します。
(阪神淡路大震災で被災/高木 潤さん)
「(高校教諭に)なろうかなと思ったきっかけも避難所にいたときに大人は仕事に出ているので避難所の運営を高校生がやっていたんです。その時にすごく刺激を受けたというか、高校生が地域の方々と力を合わせてやっていく力はすごくあるなとその時感じたので、高校生と地域をつなぐような教育の方向性を模索して実際にやっていこうかなと思っている」