被災地と中継をつないでいきます。宮城県の南三陸町では、津波の恐ろしさを伝える「震災遺構」の在り方を巡り、今も模索が続いています。
(井口亜美アナウンサー報告) 南三陸町の沿岸にある旧防災対策庁舎です。震災の時、押し寄せた津波は15メートル。3階建ての庁舎の屋上を超えていきました。
この津波により、防災無線で町民に避難を呼び掛けていた町の職員ら43人が犠牲になりました。
11日朝は地元の人などが訪れ、手を合わせていました。
震災で友人を亡くした人 「14年間あっという間に過ぎ去った。手を合わせ“ご苦労さん”と(言いたい)」
南三陸町職員 「(町の)防災に携わっているので、しっかり体制を取っていくと伝えた」
この庁舎は今後、震災の月命日やお盆に照明で照らされることになり、10日夜、初めて灯りがともされました。
佐藤町長は鎮魂の思いを込めたもので「ライトアップではない」と強調します。
しかし、町民の中には、庁舎が観光地のようになることを心配し「なぜ照明をつけるのか理解できない」と訴える人もいます。
多くの方が犠牲となった震災遺構を今後どういった形で残していくべきか、町民の間ではいまだ葛藤が続いています。